人気芸人の劇団ひとりさんですが、マルチな才能で作家、映画監督、と芸人以外でも幅広く活躍されています。
そんな多才な劇団ひとりさんの学歴を探ってみたところ、実家はエリートなのにヤンキーだったりと、意外なエピソードがあることが分かりました!
この記事では
- 劇団ひとりの学歴
- 劇団ひとりのヤンキー時代
- 劇団ひとりのデビューのきっかけ
などについて見ていきたいと思います!
劇団ひとりは帰国子女で父親はパイロット!
劇団ひとりさんはアメリカのアラスカ州アンカレッジで、小学校二年生から五年生の三年間を過ごしていた帰国子女。
劇団ひとりさんが通っていた小学校は、アラスカのアンカレッジロージャス・パーク小学校のようです。
小学生の頃の劇団ひとりさん、可愛いですね!
劇団ひとりさんの父親は元日本航空(JAL)のパイロットで母親は元CAの職場結婚だとか。
劇団ひとりさんの親族も著名人がおり、どうやら劇団ひとりさんのご実家はエリート一家みたいですね!
劇団ひとりは英語がペラペラだった!
劇団ひとりさんがアラスカで暮らしていたころは、英語がペラペラだったそうです。
現地にいる日本人が通う日本人学校が土曜日の週1回、月~金曜日は普通に現地の学校に通い、現地の子とコミュニケーションをとっていたので自然と英語を覚えていったんだとか。
劇団ひとりさんは、アラスカに住み始めてから半年くらいで現地の友達と普通にしゃべっていたそう。
やっぱり子供の吸収力って凄まじいものがありますね。うらやましいし、かっこいい!
劇団ひとりさんは今でも英語をしゃべれるのでしょうか?
残念ながら劇団ひとりさんは英語は日常会話程度まで忘れてしまったそうです。
劇団ひとりさんは日本に帰ってきても、勉強せず普通に英検3級に合格し、何なら面接官よりも英語がうまいくらいの感じで、逆にどうやって忘れるの?という感じだったようです。
僕はタンスに足をぶつけたら「Ouch!(痛っ!)」って言っていましたから。
英語のアルク presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAYより引用
しかし、劇団ひとりさんが中学三年生くらいのとき、外国人に道を聞かれたがしゃべれなかったそう。そこで劇団ひとりさんは、英語を忘れちゃったんだと気づいたそうです。
劇団ひとりさんの親からは、英会話教室に通って英語を忘れないようにしなさいと言われていたそうですが、劇団ひとりさんは英会話教室には通わなかったそうです。
めちゃくちゃもったいない!
劇団ひとりは村主章枝と幼馴染!
劇団ひとりさんは、アラスカ時代に元フィギュアスケート選手の村主章枝さんと幼馴染なんだそう。
村主章枝さんの父親も劇団ひとりさんの父親と同じく、元パイロットなんだとか。
ただ、村主章枝さんは二年くらい過ごした時期がかぶっているはずなのに、劇団ひとりさんのことはあまり覚えていないとのことでした。
劇団ひとりはアラスカでも変わった子だった!w
村主章枝さんのお母さんはアラスカ時代の劇団ひとりさんを覚えていたようで、『あそこの子、本当に変わっていると有名だった』と言っていたんだとか!
劇団ひとりさんがアラスカで暮らしていた当時は、インターネットがまだない時代だったため、日本の友達がテレビ番組を録画して送ってくれていたそうです。
そのなかに必ずお笑い番組の「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)が入っていて、タケちゃんマン(ビートたけしさん扮するキャラクター)が面白くてかっこよくて、劇団ひとりさんのなかでずっと憧れのヒーローだったんだとか。
後述しますが、ビートたけしさんの影響は、劇団ひとりさんが芸人になるきっかけにもなっています。
そういったこともあり、劇団ひとりさんが幼少期からアラスカでも有名だったとは、きっと面白い少年だったのでしょうね!
帰国後、劇団ひとりさんは千葉県の千葉市立上の台小学校に通っていたそうです。
劇団ひとりは中学受験に失敗
劇団ひとりさんの出身中学は、千葉市立幕張本郷中学校のようです。
劇団ひとりさんは、千葉県の進学校、市川中学校を受験するも、失敗していた過去があるとのこと。
現在の劇団ひとりさんの日課のひとつに、中学受験用ドリルを解くというものがあるようで、いつか落ちた市川中学の合格ライン以上の点数を取りたいんだとか。
実家もエリートですし、真面目な一面が垣間見れるな~と思っていたら、
劇団ひとりさんはなんと元ヤンとの情報が!!
劇団ひとりは元ヤン!
画像どおり、劇団ひとりさんは元ヤンで番長だったんだとか!
中学受験で進学校へ進学していたらどうなっていたんでしょうね…?
因みに劇団ひとりさんが中学時代入っていた部活は剣道部とバスケットボール部だったそうです。
剣道部はすぐにやめてしまい、バスケットボール部はキャプテンを努めていたんだとか。
部員は4人しかいなかったそうですがw
え、バスケットボールって6人ですよね…?w
劇団ひとりの高校は千葉県立京葉工業高等学校機械科中退
劇団ひとりさんは千葉県立京葉工業高等学校機械科に進学しています。
ヤンキーだった劇団ひとりさんは、学ランが着たかったという理由で京葉工業高校に進学したようです。
その理由は、劇団ひとりさんは、当時流行っていた「ビーバップハイスクール」に憧れていたからなんだそう。
劇団ひとりさんは学ランの変形学生服みたいなものがどうしても欲しく、引っ越しやのアルバイトを始めたんだとか。
中間徹モデル、高いんですよ! 2、3万はしたと思います。それが欲しくって。僕の学校はとくに校則が厳しかったので、加藤浩志モデルは短ランだから一発アウトなんですよ。中間徹モデルは中ランだから見た目はほぼノーマル。ほとんど標準学生服と変わらないので、学校に着て行ってもバレないっていう理由で中間徹モデルを買ったんです。結局バレないくらいだから誰も気づかないんですけど(笑)。そういう意味で言うと無駄な使い方しちゃいましたね。
お笑いナタリーより引用
劇団ひとりは高校時代お笑いコンビを組んでいた!
劇団ひとりさんは小学校時代に見ていたビートたけしさんに影響を受けて、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)の「お笑い甲子園」のコーナーに応募したことが、芸人となるきっかけだったようです。
1992年、劇団ひとりさんが高校1年のときに同級生と「バーテックス」というコンビで出演をしました。
劇団ひとりさんが、お笑い甲子園に出場したことをきっかけとして、現在の事務所(太田プロ)に入ることになります。
太田プロは、劇団ひとりさんの憧れのビートたけしさんが当時所属していた事務所だったため、共演者に紹介してもらい、劇団ひとりさんはそのまま太田プロにはいったようです。
1994年に別の相方、秋永 和彦さんと「スープレックス」というコンビを結成し、漫才では劇団ひとりさんはボケを担当していたようです。
2005年5月にスープレックスは解散をします。原因は相方秋永和彦さんが借金をし、夜逃げに近い状態だったとか…。
劇団ひとりは千葉県立船橋高校の定時制課程を卒業
劇団ひとりさんは芸人活動を高校生から始めたため、京葉工業高校は一年弱で中退し、定時制の千葉県立船橋高校に入り直して卒業したようです。
そのため劇団ひとりさんはトータルで5年間の高校生活を送っています。
劇団ひとりさんは、大学へは進学はせずにそのまま芸人を続けています。
そしてご存じのとおり、コンビ解散後はピン芸人として活動し、現在人気芸人の一人として大活躍されています。
劇団ひとりさんの学歴は高卒ということですが、劇団ひとりさんは芸人としてだけでなく、作家や映画監督としても活躍されています。
劇団ひとりさんのマルチな才能は、エリート一家のベースがあり、幼少期の海外での体験や高校時代からのバイト、芸人活動の影響があるのかもしれませんね!
これからも劇団ひとりさんを一生懸命応援していこうと思います!