バラエティ番組で大人気のお笑い芸人のいとうあさこさん。実は名家の出身で、超が付くお嬢様だったことをご存じでしょうか?
そしていとうあさこさんの、出身高校はお嬢様学校の名門雙葉学園出身ということが分かりました!
お嬢様とはかけ離れた芸風ですが、いとうあさこさんの父親は元銀行役員で、母親は資産家令嬢。お兄さんと妹も高学歴で凄い家柄のようです。
そんな凄い家柄にも関わらず、何故いとうあさこさんはお笑い芸人を目指すことになったのでしょうか?
この記事では
- いとうあさこの学歴と学生時代のエピソード
- いとうあさこのすごすぎる家柄
- いとうあさこがお笑い芸人を目指したきっかけ
などについてまとめてあります!
それでは始めていきます!
いとうあさこの出身高校は雙葉高校!
いとうあさこさんの出身高校は名門私立の雙葉高校のようです。
雙葉高校は都内の女子高でも御三家に入る超難関校で、東大、京大など最難関大学へ毎年進学実績を誇っています。
偏差値は75(中学受験時)とされています!めちゃくちゃすごい!
ただ、雙葉高校はとてつもない大金持ちや、教科書に出てくる財閥の子なども、もちろん通っていたそうなのですが、一般的なサラリーマン家庭の子が一番多いのでとても平和で自由な校風なんだとか。
いとうあさこさんはジャニーズのマッチ(近藤真彦)さんの大ファンで、透明の下敷きに明星などのアイドル雑誌の切り抜きを挟んだり、自由に学園生活を楽しんでいたようです。
いとうあさこは宇宙物理学者を目指していた
いとうあさこさんは理系科目が得意だったそうで、高校生の時は宇宙物理学者になりたかったそうです。
宇宙はまだ分からないことが多く、ロマンに溢れているところに惹かれていたとか。
今見えている星がもしかしたら現在はない星かもしれないとか、有限か無限かわからないところなどに興味をもったそうです。
いとうあさこはクラスを盛り上げるムードメーカー
いとうあさこさんは、現在のイメージ通り明るくクラスの人気者だったようです。
高3の運動会の時に、最後だから思い出に残るように、学年カラーだった紫色の模造紙を大量に買って丸めてメガホンを作ったり、紫の服を作ったりして盛り上げたりしていたとか。
いとうあさこさんが所属していたクラブは陸上同好会、天文班、PM(ポピュラーミュージック)愛好会に入っていたそうです。
陸上同好会は、ユニフォームのブルーのトレーナーが可愛くて入ったらしいのですが、部活での写真が何故かリヤカーを足されてばらまかれていたんだとか!
当時からいじられるユーモア溢れるキャラだったのでしょうかw
SNSがない時代でこれは面白すぎますね!
いとうあさこは小学校から雙葉学園!
いとうあさこさんは、いわゆるお受験をして小学校から高校まで雙葉学園に通っていたそうです。
幼稚園の頃のいとうあさこさんは優秀だったそうで、そこが人生のピークだったと語られていますw
いとうあさこさんは学校が大好きで、夏休みの一か月半ほど、休みがあけるのが待てないほどだったそう。
当時流行っていたドラマ「スチュワーデス物語」にはまり、友達と学校でドラマの話をしたりしていたとか。女子高ってこういうところが楽しそうですよね!
小学生から愛読書は『Newton』
いとうあさこさんは小学生の頃から科学雑誌の『Newton』を愛読していて、少女漫画などには熱中しなかったとか。自分がとっていたわけではなかったそうなのですが、定期購読として家に届くようになっていたそうです。
恐らく娘が愛読するので、親が定期購読にしたのだと想像がつきますよね。
そして未だに気に入っている何冊かは家にあるそうです。
いとうあさこさんは高校で宇宙物理学者になりたかったと前述しましたが、小学生のころから理系科目が得意で逆に文系科目は得意ではなかったとか。
中学生ではアイドルになりたかった
いとうあさこさんは、中学生の頃まで本気でアイドルを目指していて、アイドルグループの「おニャン子クラブ」に履歴書を送ったことがあるそうです。
おニャン子クラブのプロデューサー、秋元康さんがパーソナリティーを務めるTokyoFMのラジオ番組「いいこと、聞いた」にいとうあさこさんがゲスト出演した際に秋元康さんに抗議をしたエピソードが面白かったのでご紹介します!
「おニャン子クラブの履歴書出して、まだ返事がきておりません」といきなり“抗議”。秋元氏が「あの、まだ書類審査してるんです」と答えると、「すごい練ってくださってるじゃないですか。こんな40年近くかけて練っていただくことあるんですね」と笑いながら言い、秋元氏も「ありますよ。書類審査で最終まで残っていると思います」とノリノリで説明した。
スポニチより引用
まだチャンスはあるのでしょうか???w
いとうあさこのあだ名はライオン丸!?
そんなアイドルに憧れていたいとうあさこさんは、当時大流行していた松田聖子さんの髪型、「聖子ちゃんカット」になりたくて、美容院で段カットをして、初めてパーマをかけたところ、初めてのパーマでかかりすぎてしまったそうです。
その結果髪型がたてがみのようになってしまい、学校ではついたあだ名が「ライオン丸」になったとかw
周りの友達もこのあだ名をつけられるキャラが、いとうあさこさんには当時からあったのでしょうね!
いとうあさこは『ヒロイン病』になっていた?!
いとうあさこさんの思春期は、「なぜ親は気持ちを分かってくれないの」みたいなポエムを日記にしたためていたそうです。
それをいとうあさこさんは『ヒロイン病』って呼んでいるらしいですw
誰しも思春期って黒歴史を残すというか、こういう事しちゃいがちですよねw
後から見返すと震えるほど恥ずかしいっていうw
いとうあさこの幼稚園は東郷幼稚園!
いとうあさこさんは渋谷区にある東郷幼稚園に通われていたようです。
幼少期のいとうあさこさんはお転婆で、木登りをしたり、祖父母の家にプールがありそこでよく泳いでいたそうです。
ここまで、いとうあさこさんの学生時代を見てきましたが、実はいとうあさこさんの実家は超お金持ちで、名家出身ということのようです。
次からは、いとうあさこさんの実家と、ご家族について見ていきたいと思います!
いとうあさこは名家出身のお嬢様!
いとうあさこさんの父方の祖父は伊藤啓介さんで、東京帝国大学(現・東京大学)を卒業していて、後に大手銀行マンだった方のようです。
伊藤啓介さんは伊藤新作さんという実業家の家に養子に入っているんだとか。
伊藤新作さんは、マサチューセッツ大学を卒業し、アメリカで雑貨店を営み帰国しているという経歴の持ち主のようです。
その経歴に目を付けた日本資本主義の父、渋沢栄一さんが明治22年設立した日本煉瓦製造株式会社に初代営業部長として迎え入れられたようです。
いとうあさこさんが渋沢栄一と縁があるというのは、このことからきているようですね!
※渋沢栄一さんは、新一万円札の顔になる方です!
母方の祖父、田島恩さんは発明家でスチール家具で成功した大物実業家なのだそうです。
田島恩さんは関東大震災をきっかけに、燃えない家具を作れば売れるのではと考え、スチール家具でも木目調に見える塗装を開発して販売をしたようです。
スチールの良さの軽くて丈夫、火災に強いという点も受け入れられ、小樽銀行や東京株式取引所、三越呉服店、東京帝国大学などに納品されるまでになったとか。
いとうあさこさんが幼少期に祖父母の家でプールをしていたというのは、こちらのお家のようです。プールの他にブランコと滑り台もあったそうです。
一等地である千駄ヶ谷にプール付の豪邸って、相当なお金持ちであることは間違いないようですね!
いとうあさこの父親は元富士銀行役員
いとうあさこさんの父親は伊藤新造さんで、東京大学法学部出身、富士銀行(現みずほ銀行)の元常務を務めた方のようです。
当時の富士銀行は東大卒が多く、自己主張が強い行員が出世しがちだったようですが、いとうあさこさんの父親は珍しく柔和な印象だったとか。
なんだか、いとうあさこさんの人柄にも影響がありそうですよね。
そんなガチガチのエリートないとうあさこさんの父親ですが、ちょっと面白いエピソードがあったのでご紹介します!
いとうあさこさんが学生のころ、マッチ(近藤真彦)が大好きだったそうです。
いとうあさこさんは二段ベッドの上段を使っていたので、天井と壁にマッチのポスターや切り抜きなどを貼りまくっていたそうなのですが、ある夜にふと目を覚ますと枕元で父親が「マッチとは結婚できないと」つぶやいていたとか!
なんだか面白そうなお父さんですよね!いとうあさこさんにも遺伝しているのかもしれませんね!
また、当時、大人気だった『8時だョ!全員集合』というバラエティー番組の申し込みはがきを、お父さんが進んで出していたそうです。何をやっても法に触れなきゃいいという感じだったそうです。
いとうあさこの母親も名家出身
前述したように、いとうあさこさんの母親は伊藤美恵さんという方で、スチール家具で成功を納めた実業家の令嬢のようです。
いとうあさこさんの母親は完璧に家事をやる「プロ主婦」だったんだとか。
朝から晩まで動き回っていて、家はいつもきれいに片付いていて、食事も美味しい。
いとうあさこさんが反抗期の時も、ご飯はうまいと思っていたそうです。
昔は男の人が妻に「誰のおかげで飯を食わしてもらえると思ってるんだ」と言うようなこともよくあったんですけど、母は「いや、誰のおかげでビシッとしたスーツを着て会社に行けてるんだ」と胸を張っているような人なんです。だから、「主婦」というのはすごい仕事だと私も思っていて、どこかで憧れみたいなものもありました。
就職みらい研究所より引用
2023年に理想の上司ランキング一位(バラエティ部門)に選ばれたいとうあさこさん。
たとえ主婦だとしても、自分の仕事に誇りを持っている姿や周りに気配りができるところなど、いとうあさこさんにも受け継がれているのではないでしょうか。
しかし、いとうあさこさんは高校卒業後の進路について親に反対されたそうです。
宇宙に興味があり、本当は東北大学の宇宙地球物理学科に進学したかったそうなのですが、当時は「リケジョ」なんて言葉もなく、女の子が理系に進むなんてという風潮があり、親に反対されたそうです。
そしていとうあさこさんは少しずつ親に敷かれたレールを自ら外していくのです。
いとうあさこは19歳で家出
名家で何の不自由もなく育ったいとうあさこさんですが、遅い反抗期が来たタイミングと、シンガー・ソングライターの尾崎豊さんとの出会いが重なったそうです。
いとうあさこさんは高校卒業後浪人生活をしていたのですが、図書館に行ってくると言って、そのまま家出をしたそうです!
親に言われるまま文系に進学するのが嫌になってしまったことが要因だったとか。
「尾崎豊さんの歌で“自由っていったいなんだい”って歌があるんだから、ずっと箱入り娘で育ったから、そんな考え方なんか1回もしたことなかったし、大人に反抗するのはいけないことだと思っていたから」
スポニチより引用
いとうあさこさんは「大人の言うとおりに動かない自分はカッケー!」みたいに思ったんだとか。
家出からいとうあさこさんは、前もって借りていたアパートに転がり込んだのですが、どこで聞きつけたのか、3日後には見つかってしまったそう。
ある日、家に帰るとアパートの前に車が止まっていて、お母さんがいたんだそうです。
目を合わせましたがお互いしゃべることはなかったそうです。
お母さんに連れ戻されることはなかったそうですが、悪徳物件をつかまされたり、朝から晩まで馬車馬のように働く日々が始まり、39歳の浅倉南のキャラでブレイクするまでは、相当な下積み時代を送っていたようです。
いとうあさこはがお笑い芸人を目指したきっかけ
実はいとうあさこさんは小さい頃から、芸能界への憧れがあり、伊東四朗さん、いかりや長介さんのような悲劇と喜劇の両方をこなせる役者さんってすごいなと思っていたそうです。
そして大好きな二人は、お笑いの世界で頂点に上り詰めたから、悲劇を演じても素晴らしいんだ、それならちょっとこの世界を突き詰めてみようかなと考えたのだそう。
いとうあさこは舞台芸術学院でお笑いコンビを結成
いとうあさこさんは家出をしてから付き合った彼氏の借金を返済をしていたようで、その借金の返済が落ち着いて来た頃に、夜学で通える舞台芸術学院ミュージカル別科に通いだしたそうです。
舞台芸術学院の同級生の佐藤千亜紀さんと「ネギ猫調査隊」というコンビを結成し、紆余曲折を経てピン芸人で活動することとなったようです。
いとうあさこの現在の親子仲は?
いとうあさこさんは家出をしているので、成人式には行っていないそうなのですが、親友の母の提案で写真撮影はしたそうです。そして何故か記念に帯揚げ・帯締めを「記念に持って帰りなさい」と言って、いとうあさこさんにくれたのだとか。
そして真実を20年後に知ったというのですが、その時もらった帯揚げ・帯締めは、実はいとうあさこさんのお母さんからの贈り物だったそうです。
いとうあさこさんのお母さんは、写真を撮るときも隠れてずっと見ていたらしく、影ながら娘を見守っていたのですね!
今ではいとうあさこさんが番組でニップレスを付け、パンツ一丁になっているのを見て、お母さんはお酒を飲みながらゲラゲラ笑っているそうです。
今では娘の活躍を喜んでいるようで、家族仲も良好のようですね。
いとうあさこさんは進路に反対されて家出という形となってしまったようですが、大学進学をして就職をしても、いつかはお笑い芸人になっていたような気がします。
これからも一生懸命応援していこうと思います!