オヤジギャルを地でいくような飾らない芸風で活躍中のヒコロヒーさん。
実は実家、家族、生い立ちをほとんど明かしていない、謎が多い芸人さんでもあるため、様々な憶測をよんでいるようです。
ヒコロヒーさんは下積み時代が10年あり極貧生活、借金を抱えたりした過去がある一方で、語学堪能、芸術にも精通しているなど、芸風からは結びつかない意外な一面もあるようです。
この記事では、謎に包まれた
- ヒコロヒーの生い立ち
- ヒコロヒーの意外過ぎる一面
- ヒコロヒーのデビューのきっかけ
などについて見ていきたいと思います!
ヒコロヒーの実家は愛媛県
ヒコロヒーさんの出身は愛媛県のようです。
詳しい出身地は非公表とされているらしいのですが、ヒコロヒーさんは以前インタビューで愛媛県の田舎で遊ぶところもなかったと発言されていたようです。
愛媛の県民性について、温暖で自然豊かな穏やかな気候で育っているため、朗らかでのんびりした優しい性格の人が多いとよく言われるんだとか。
一方で伊予弁という愛媛県の方言は関西弁や広島弁にも似ていて、ややきつく聞こえることもあるようなのですが、心は穏やかで落ち着いている。
まさにヒコロヒーさんもそんな愛媛県民性の不思議な魅力がある芸人さんの1人だと思います。
ヒコロヒーの本名は高須賀友紀?
本名を非公表としているヒコロヒーさんですが、本名は高須賀友紀さんではとされています。
高須賀という苗字は愛媛県に多いらしく、後述しますが、ヒコロヒーさんの出身大学にも名前があったそうです。
因みに芸名の”ヒコロヒー”はカクカクした90度の文字が好きなので、特に意味はないんだとか。
ヒコロヒーは名家の出身?
ヒコロヒーさんは生い立ちをほぼ明かしていないことから、様々な憶測、噂が飛び交っているようです。
噂となっているのは、ヒコロヒーさんがプライベートを明かしていないのは、ヒコロヒーさんの実家は財閥で、仕事に影響が出るからというもの。
どうやらヒコロヒーさんがデビューしたころ、親族が仕事を斡旋しようとしたことがあったんだとか。
家族の力を借りたくなかったヒコロヒーさんは、実家を明かしていないという噂があるようです。
また、ヒコロヒーさんの出身地愛媛県に縁のある財閥が、日本三大財閥のひとつである、住友財閥というところから、ヒコロヒーさんは住友財閥の家系なのではとなっているようです。
噂の真相はどうなのでしょうか??
ヒコロヒーは母親には勝てない?
ヒコロヒーさんのお母さんは、『お花、お料理が好きで穏やかなおかん』だそうですが、幼少期、ヒコロヒーさんがいじめられて泣いて家に帰ってくると、「やられっぱなしで悔しないの?行っておいで!やり返しておいで!」と言われたエピソードを明かしています。
関西のおかんって感じがしますが、あれ??財閥の家柄とは少し結びつきにくいような…?
さらにヒコロヒーさんが大人になった時お母さんの友人から、ヒコロヒーさんのお母さんは高校時代に竹刀を持って校舎を歩き回っていたという驚愕の事実を聞かされ、ヒコロヒーさんは”おかんには勝てへんのかもな”と思った事があるんだとか。
心の中で「バリバリのヤンキーやないかい!」と思ったのは私だけではないはず…
ヒコロヒーさん自身も高校時代は”2軍ヤンキー”だったと語られているようです
ヒコロヒーの父親はひょうきん?
フジテレビ系「人志松本の酒のツマミになる話」にヒコロヒーさんが出演された際に、ヒコロヒーさんのお父さんとのエピソードがありました。
ヒコロヒーさんのお父さんは、ヒコロヒーさんが幼少期の頃は家にほとんどいることがなく、そのため家族で食卓を囲むこともあまりなく、ヒコロヒーさんもお父さんの性格がよく分からなかったそうです。
そのまま大人になったヒコロヒーさんは、数年前にお父さんが脳卒中で倒れてしまい、
集中治療室に運ばれ一命を取り留めたそうです。
ヒコロヒーさんとお母さんが入室し、これまであまり話したことがないお父さんに「お父さん大丈夫?」と言うと、お父さんは
「びっくら、びっくら、びっくらぽんよ〜」と返してきたんだとか。
思わぬタイミングで見えたお父さんのひょうきんな一面に、「あ、おとんボケたりすんねや」と驚いてしまったそうです。
そしてヒコロヒーさんはこのことから、「集中治療室でボケるような真似をしないでおこう」と言って、スタジオの笑いを誘っていました。
ヒコロヒーの意外な一面とは?
ヒコロヒーさんの印象は、タバコ、麻雀、競馬、酒、自身を『わし』と呼ぶ、などやさぐれた印象が強いかと思いますが、実はヒコロヒーさんはインテリなのではと思わされる一面を持っているようです。
ヒコロヒーは英語・韓国語が堪能
ヒコロヒーさんは英語がとても流暢で、韓国語も日常会話レベルというなんとも凄い一面ををお持ちのようです!
ヒコロヒーさんの英語、数年間住んでましたぐらい流暢だし森本さんも知らないような単語が出てくるしですごすぎました!本名不明でバイリンガルのアジアンビューティーって、シティーハンターとかでしか見たことなかったけど実在するのか… #EETL pic.twitter.com/Q4VkUr5GdN
— AZ (@az65535) January 31, 2019
ヒコロヒーさんの幼少期の情報がないため、何故ネイティブばりに英語が話せるのか、帰国子女なのか、ハーフなのか、という憶測が飛び交っているみたいですね。
もし幼少期に海外生活を経験されていたとするのであれば、ヒコロヒーさんの実家はお金持ちなのではと予想されますよね。
ヒコロヒーは美術に精通している
ヒコロヒーさんはご自身のブログで10代にフランスに旅行し、ルーブル美術館を訪れたことでをきっかけに、絵画が好きになったと書かれています。
また、ヒコロヒーさんの実家には多種多様な画家の画集が多数あり、幼少期から画集を適当に眺めるのが好きだったとか。
10代なので、恐らく家族旅行だと思われますし、画集が多数あったという事から、やはりヒコロヒーさんの実家はお金持ち説が濃厚となってきますよね。
ヒコロヒーさんは特に印象派と呼ばれる画家のモネ、セザンヌが好きなのだそう。
ヒコロヒーさんはブログで、西洋美術について何回も記事を書かれています。
ブログ記事の内容はかなり西洋美術に精通されているんだなという印象を受けましたし、芸人さんだけあって文章も面白いので、気になる方は是非一度読まれてみては如何でしょうか。
今では美術館巡りがヒコロヒーさんの趣味で、様々な展示会に足を運ばれているようです。
ヒコロヒーは高校時代から雀荘に入り浸り
ここからはヒコロヒーさんらしい?学生時代のエピソードを見ていきたいと思います!
ヒコロヒーさんは高校時代は部活に入らず帰宅部で、麻雀にはまり、雀荘に入り浸っていたそうです。
”盲牌”と呼ばれる、麻雀牌の絵柄を触ってどの牌かを見ずに当てるという特技まで身につけているんだとか。
そして、元カレとの麻雀にまつわるエグいエピソードがありました。
ヒコロヒーさんは元カレに「麻雀に行くな」と言われていたのですが、隠れて行っていたのがバレてしまい、自転車のサドルで殴られ続けたというかなりバイオレンスなもの。
麻雀のイメージは今はそこまで悪くないと思いますが、雀荘はタバコの煙がモクモクで、確かに彼女には行って欲しくないと思う人もいるかもですが…トンでもエピソードでした…
ヒコロヒーはガソリンスタンドに就職が決まっていた
ヒコロヒーさんは高校時代ガソリンスタンドでアルバイトをしていたそうです。
そして、アルバイト先のガソリンスタンドに就職が決まっていて、大学進学する気は無かったんだとか。
ただ、ヒコロヒーさんは親にどうしても大学に行ってくれと頼まれ、全然勉強していなかったけれど、進学をすることになったそうです。
ヒコロヒーさんは学生時代から人並みにお笑いが好きで、『めちゃ×2イケてるッ!』とか『笑う犬の生活』を見ていたんだとか。
高校生では芸人のラジオが好きになり、ブラックマヨネーズの『ずぼりラジオ』、くりぃむしちゅーの『オールナイトニッポン』などを聞いていたそうです。
ヒコロヒーの学歴は近畿大学中退
ヒコロヒーさんは近畿大学文芸学部芸術学科に進学、後に中退しています。
近畿大学は大阪にあるので、ヒコロヒーさんはミナミに憧れてという気持ちもあり、近畿大学に進学したそうです。
ぜんぜん勉強してなかったので、自分でもようやりましたねって思います。
VOCEより引用
ヒコロヒーは大学時代落語研究会に所属
ヒコロヒーさんは大学時代落語研究会に所属していたようです。落語研究会に入ったきっかけは、勧誘してきた人が男前だったからとのこと。
ヒコロヒーさんは本当はサークルに入らず、バイトを頑張ろうと思っていたそう。もし男前の先輩が勧誘しなかったら今のヒコロヒーさんは誕生しなかったのかも、と思うと面白いですよね~
落語研究会では、予算確保のために年に2回くらい発表会みたいなことをしていたんだそうです。
適当に自分が覚えた落語を披露したり、出囃子も自分達で弾かないといけないので、三味線とか太鼓は一通り練習をしたんだそうですが、真剣にお笑いをやるサークルではなかったようです。
活動自体は週に1~2回あるか無いかで、あとはずっと部室で麻雀したり、映画を観たり、漫画を読んだり、喋ったり……。なので、本当に「予算のため」の活動でしたね。その予算で、旅行がてら合宿に行ったりしていました。当時はけっこうちゃらんぽらんな部活だったんで、「芸人になろう」と思っている人はいなかったですね。そんな感じなんで、私も「学生芸人だった」っていう自覚はないんです。
ラジトピより引用
ヒコロヒーのデビューは学園祭でのスカウトがきっかけ
ヒコロヒーさんは学園祭の欠員が出て困っていた知り合いから頼まれて、軽い気持ちで舞台に立ち、超適当なひとりコントを披露したそうです。
その舞台を見た松竹芸能からスカウトされたのですが、最初はお笑い芸人と言われても「ふぅ~ん」という感じだったんだとか。ただちょうどインターンや就活が始まるタイミングだったんだそう。
ヒコロヒーさんは映画の配給やラジオ制作の仕事に興味があり、松竹ではそういう分野の仕事もあったので後の就活などに役に立つかな、と思ったそうです。
そしてヒコロヒーさんは松竹芸能の養成所に入り、芸人のAマッソ、きつねなどと仲良くなり、習い事の延長線みたいなノリで始めて徐々に芸人を目指すようになっていったんだとか。
養成所という、わけのわからん小さい部屋で、若者たちが「天下とったる」みたいな顔して集っているところに入ることになって、なんなんだろうこれはというところからスタートしました。私は「天下とは?」という感じでした
VOCEより引用
そしてヒコロヒーさんは「お笑いで頑張りたい」という理由で大学を辞めることに。
しかし、それはあくまでも親を説得するためのちょうど良い免罪符で、ヒコロヒーさんは本当はずっと大学を辞めたいと思っていたんだそう。
そして、大学を辞めた時点では真剣にお笑いをやろうと思っていたわけでは無く、フリーターになろうと思っていたそうです。
その後、ライブで共演した先輩芸人に影響され、真剣に芸人を目指すようになり、10年という長い下積みを経験し、今のヒコロヒーさんになっているという事のようです。
生い立ちが謎に包まれていますが、ヒコロヒーさんの両親もひょうきん?な一面があったり、ヒコロヒーさん自身も適当にやったネタでスカウトされるなど、元々芸人としての素養を秘めていたのでしょうか。
やさぐれた一面、インテリな一面、様々な顔を持ちヒコロヒーさんは本当に魅力的な方だなと思いました!
これからも一生懸命応援していきたいと思います!