男子バスケットボール日本代表に選ばれている、河村勇輝選手。
河村勇輝選はインタビューで「父のような父になりたい」と発言されているようです。
河村勇輝選手と河村選手が尊敬する、父親の吉一さんとの関係が気になりました。
また、調べていくと、強制をしない子育て方法や家族の深い愛がありました。
この記事では、
- 河村勇輝選手と父親のエピソード
- 河村勇輝選手の両親の子育て方法
- 河村勇輝選手と祖母のエピソード
などが知れるようになります!それでは始めていきます!
河村勇輝の父親はバスケ指導者!
河村勇輝選手の父親は河村吉一(よしかず)さんだそうです。
河村勇輝選手は山口県柳井市出身、中学校は地元の柳井市立柳井中学校出身。
そして父親の吉一さんは、河村勇輝選手が通っていた柳井市柳井中学校の元教員、
そしてバスケットボール部の顧問をしていたそうです。
河村勇輝選手は父親が同じ中学の先生であることは周囲には明かしておらず、
吉一さんのほうも他の生徒と同じように、息子の河村勇輝選手にも指導していたんだとか。
河村勇輝選手が柳井中学校に入学したころのバスケ部は、県大会でも勝利を上げていた実力チームだったそうです。
河村勇輝選手は一年生の頃からスタメンとして試合に出場したりする傍ら、
学習塾に週3回通いながら、学校内では一けた台の成績をキープしていたんだとか。
中学生の頃の河村勇輝選手は、プロバスケ選手を目指したりしていたわけではなかったようです。
部活動で日本一になることでなく、バスケと勉強を両立することが目標でした。
asicsより引用
姉たちが通う地元の進学校に入って、教育系の国立大学に進学して、
体育の先生になりたいと思っていたんです」
河村勇輝選手は、文武両道を実現していて、親と同じように教師が夢だったんですね。
しかし、父親がバスケ部顧問だったこともあり、勉強と部活の両立はきつかったそうです。
学習塾から帰宅し、就寝は23時ごろ、河村勇輝選手は朝はギリギリまで寝ようと思ったそうですが、
7時前から始まる朝練のため親に早めに起こされていたんだとか。
お父さんが部活顧問だと、さぼれないですよね~汗
河村勇輝の父親は”非”熱血おやじ?
河村勇輝選手の父親はバスケ部顧問で教員でもあったので、息子にはさぞ厳しい指導をしていた方なのでは?と想像してしまいました。
ただ、厳しい体育会系の熱血おやじとは真逆のエピソードがありました!
河村勇輝選手の父親は、日曜大工で庭を環境整備!
河村家の庭は広大で、河村勇輝選手の父親は家の庭に、自家製のネットや、好きなだけバスケに打ち込めるように家庭用のナイター設備も作ってくれたんだそうです。
河村選手にとって父親の日曜大工による環境作りはどれも嬉しかったそうです!
確かに、そんな環境をお父さん自ら作ってくれるなんて、とても愛を感じますよね!
そんな河村選手が父親に対して、特に愛を感じたのは天気に恵まれない日だったんだとか。
雨が降ると、雨がやんだあとにそのシートをどければ、バスケができるようにと、
父親の吉一さんは庭に巨大なブルーシートを敷いてくれたのだそうです。
河村勇輝選手は、お父さんの吉一さんに、雨粒の下でバスケをして叱られた記憶はないけど、
そのあと風邪を引かないようにと声をかけられた記憶はあるのだそう。
そして、そういうときには決まって、吉一さんはお風呂を沸かしてくれていたんだとか。
「体育館だけではなくて、あの庭でバスケをしたことが、
NumberWebより引用
自分の今までのバスケ人生のなかで基礎になっているんじゃないかな」
熱血体育会系おやじだったら、雨なんか関係なく練習しろ!とか言いそうですよね!
河村勇輝選手のお父さんは、めちゃくちゃ愛に溢れた優しい方なんだなと思いました!
河村勇輝選手は、小学6年生の時、自ら1日1000本のシュートを課して、何時間も練習をしていたんだそうです。
お父さんのほうもそんな息子を見ていたら、一生懸命応援したくもなりますよね。
河村勇輝選手と父親の吉一さんは、とても良い親子関係なんですね。
河村家の教育方法は『非強制』!
河村勇輝選手のご両親は、常に河村勇輝選手が努力できる環境を作ってくれたことが印象に残っているそうです。
たとえば、河村勇輝選手のご両親は、思いっきり勉強できるように、参考書を何冊も買ってきてくれたり、学習机を用意してくれたり。
前述しましたが、家の庭で、バスケットボールに思いっきり打ち込めるような環境も整えてくれたり。
だからと言ってご両親から勉強もバスケットボールも強制されたことは一度もなく、
河村勇輝選手がやりたいようにやらせてくれた事に対してとても感謝しているそうです。
とてもすてきな子育て方法!!!
河村勇輝と父親との日課とは?
バスケットボールの指導者である吉一さんの部屋の棚には、数多くのNBAや国内バスケに関するビデオが、ずらっと並んでいたんだとか。
河村勇輝選手は、小学校2年生から6年生くらいまで、幼児がお気に入りの本を選んで、
親に読み聞かせてもらいながら眠るように、バスケのビデオを選んで、見ながら寝落ちしてしまったそうです。
父親の吉一さんは、寝落ちした河村勇輝選手を抱きかかえて子供部屋まで運ぶのが日課だったんだとか
なんとも微笑ましい親子のエピソードですね!
そしてここで河村勇輝選手は、マイケル・ジョーダンをはじめとした1990年代のNBAのスーパースターたちの映像から、田臥勇太の能代工業高校時代の映像までを見ていたそうです。
河村勇輝選手は、この時期に見た田臥のプレーが、今のプレースタイルにつながっていると確信しているんだそう。
河村勇輝は父親とキャッチボールをしていた
河村勇輝選手は小学校2年生からバスケを始めていますが、それまでは野球に熱をあげていたそうです。
日課として、父子でのキャッチボールをし、2人でお風呂に入るときには、水中に入れた手首を50回スナップさせたら湯船から出られるというゲームをしていたんだとか。
手首を強くすれば野球に役立つからという吉一さんの親心からだったんだそう。
「強制というよりは、お遊びというか、コミュニケーションの一環としてやっていたんですよね。ただ、あのときの経験ってけっこう生きている部分はあると思うんです。手首もそうですし、キャッチボールですごく肩の力はついたんじゃないかなぁと」
NumberWebより引用
そして、河村勇輝選手が地元の野球部に入ろうとしたタイミングで、
スポーツショップに行ったところ、野球グッズにはピンとくるものがなく、
バスケのユニフォームがかっこいい!と思ってしまい、急にバスケに変更してしまったんだとか!
まさかの見た目から入るタイプ!?w
ただ、地元のミニバスケットボールクラブは指導者の方もすごく良いと定評があったそうで、本格的にやるには良い環境が整っていたんだとか。
そして、父親の吉一さんは、河村少年が野球からバスケに変更したことも、喜んでくれていたそうです。
父親の吉一さんは決して自分のこだわりを河村勇輝選手に押し付けるような事はなかったんだそう。
河村勇輝選手が父親の影響を大きく受けてはいるようですが、吉一さんがバスケをするように強制した事はなかったそうです。
河村勇輝選手の父親吉一さんは、『非強制』という育て方で、河村選手に対して深い愛情で見守ってこられたんですね。
河村勇輝は『父のような父になりたい』
現在の河村勇輝選手は自身の努力と、それを見守る父・吉一さんの愛が加わって作られていったのかもしれませんね。
そんな河村勇輝選手は父・吉一さんのようになりたいと語っています。
「自分も将来、父親になる日が来たら、子どもの自主性を重んじた上で環境をきちんと整えてあげたいな、と。『うちの父のような』父親になりたいなという思いはずっと抱いています」
NumberWebより引用
大学中退してプロ転向。その時の父親の厳しい言葉
河村勇輝選手は、東海大学を中退してプロへ転向しています。
河村勇輝選手は、大学2年12月の全日本大学選手権後に、両親に大学を中退して、プロ転向への決意を語ったそうです。
中退してプロ1本で決めることの難しさを両親は知っていたので、河村勇輝選手の両親は、すぐに賛成した訳ではなかったようです。
河村勇輝選手が電話口で、思いのたけを熱く語ったそうです。それに対して父親の吉一さんは一言、
「しっかり覚悟を持って、大変なことがあっても責任が取れるならいいぞ」と言ったそうです。
突き放したような言葉に、河村勇輝選手は「すごく厳しい言葉だなと思った」んだそう。
しかしその一方で親の愛も感じ取り、その気持ちがないとプロでやっていけないと思ったし、
それこそ日本代表になるにはそれ相応の覚悟が必要なんだと改めて決意したんだとか。
河村勇輝選手は両親の言葉に背中を押されたんだそうです。
ご両親は最初から強制することなく河村勇輝選手を育ててきて、その愛を感じ取り、覚悟を決めていったんですね。
とてもとても深い愛情を感じました。
河村勇輝の母親も教師
河村勇輝選手の母親も教員をされていたようです。
ご両親が教員という影響もあるのか、河村家の教育方針は『勉強第一』だったそうです。
両親が教師をしていたこともあり、家の方針は「勉強第一」でした。
ママスタセレクトより引用
スポーツや部活はあくまで勉強の「付属」。なので、勉強をおろそかにしたことはありません。バスケットボールに打ち込みつつも、勉強第一でがんばってきました。
河村勇輝選手はコートに入る際、一礼をしてから入ります。
実はこのコートに入る際の一礼も、ご両親からのアドバイスで始めたことなんだとか。
そして、この一礼には河村勇輝選手なりの想いもこもっており、その想いを表現しているのだそうです。
その河村勇輝選手の想いとは、
自分がコートに立てることは、決して当たり前のことではありません。
ママスタセレクトより引用
コートに立ちたくても立てない選手もいますし、今までの積み重ねがあってこそコートに立つことができます。
コートに入る前の一礼でそのことを改めて自覚し、全力で試合に戦うことを誓っています。
めちゃくちゃかっこいい!!!
河村勇輝選手はスター選手になっても、こういく気持ちを忘れずに努力されているんですね。
河村勇輝はおばあちゃん子!
そんなすてきな河村勇輝選手のご両親ですが、両親とも教師だったため多忙で、
代わりに河村勇輝選手の祖母が面倒を見てくれていたそうです。
河村勇輝選手の祖母は、練習場への送迎や食事などを一緒に食べたり、多くの時間を過ごし、
河村勇輝選手にとってかけがえのない存在となっているようです。
「毎年見に来てくれた」運動会での出来事。
スポーツナビより引用
「かけっこで1位になるとすごく喜んでくれました。1位になりたい気持ちは、祖母のためにありましたね」
河村勇輝選手は高校は地元を離れ、福岡第一高校に進学しています。
河村勇輝選手のおばあちゃんは、『県外に出てほしくない』、『地元の進学校に進んでほしい』と
思っており、河村勇輝選手が福岡第一に行くと決まった時はすごく泣いていたんだそうです。
河村勇輝選手が高校最後のウインターカップの時、
河村勇輝選手はあるバスケットボールシューズで大会に臨みたかったそうなのですが、
その一足は「ボロボロ」だったため実家に送ってあったそう。
しかし、おばあちゃんがなぜか、すごくきれいに磨いてくれて、河村勇輝選手の手元に送ってきたんだとか。
そして、河村勇輝選手は「このバスケットボールシューズで優勝したいなと」思い、
履き慣れたシューズは破損させないため決勝戦まで取っておき、別のシューズで大会に挑んだそうです。そして見事優勝!!!
祖母と一緒にウインターカップを戦った記憶があります。
スポーツナビより引用
すごくプレッシャーがあるなかで最後にチームメートと一緒に勝ちきれたのは、すごくうれしい思い出ですね。
遠くにいてもずっと支え続けてくれて、やはり祖母の偉大さを感じました。
遠くに行ったからといって、気持ちの距離も遠くなるわけではないので。
だからこそ常に一緒に戦ってくれる心強さも感じましたね
おばあちゃんからの手紙に感極まる!
2023年河村勇輝選手は、MVPと新人賞をW受賞されました。
表彰式で河村勇輝選手のおばあちゃんからの手紙を朗読されると、
河村勇輝選手は感極まり涙があふれていました。
バスケットを不自由なく出来たのも祖母のおかげ、病気で高齢でも必死に生きている祖母の姿は、
どんなつらいことでもやっていける気持ちになると、インタービューで発言されているようです。
河村勇輝選手はおばあちゃんに感謝の気持ちでいっぱいのようです。
心温まるエピソード!これからも感謝ご家族への感謝の気持ちを忘れずに、
河村勇輝選手は大きく前進されていくんでしょうね!
朗読されたおばあちゃんからの手紙はこちら
河村勇輝は3人姉弟の末っ子!
河村勇輝選手にはお姉さんが2人いて、とても勉強熱心で、早稲田大学を卒業されているようです。
河村勇輝選手のお姉さんも文武両道で、勉強とスポーツを両立させていたんだそう。
そんなお姉さんを見てきた影響もあってか、河村勇輝選手も勉強とスポーツの両立は当たり前だったんだそうです。
河村勇輝選手の家族5人はとても仲が良いのだそう。
そこにおばあちゃんもいて、周りからたっぷりと愛情を受けて育ってこられたんですね。
これからもどんどん盛り上がっている日本のバスケットボールを引っ張っていってほしいと思います!河村勇輝選手、これからも一生懸命応援していきます!